本町の八月踊り(昭和37年10月24日指定)

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本町の八月踊り(昭和37年10月24日指定)
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本町八月踊りの起源と特徴
県指定 本町八月踊り
 本町八月踊りの起源には、開田、用水路竣工祝、豊年祭、慰霊、安泰祈願等の諸説があります。江戸時代寛文11年(1671年)の春に高山用水工事が竣工し、田高2000石が開発され、新溝記念碑が建立されたとき、奉納されたと伝えられています。


 この性格は神事芸能であり、神霊祭祀の祈願と感謝祭であるといえます。踊りは、農村における最大の慰安娯楽であるばかりでなく、若い男女の出会いの場であったなど、社会的な意義をもっています。


 当日は、集落の水神様の前で鉦踊の法楽を行い、その次に講元で踊り、夜になって集落の櫓のある場所で八月踊を行います。


 三味線、胡弓、太鼓で哀愁を誘うしらべを伴奏に、唄い手が櫓の上で唄い始めると、音頭(踊り上手)が先頭に立ち輪になって踊ります。踊り手は大体15歳から30歳ぐらいが主でしたが、近年は若者が少ないため、小中学生や高齢者も参加するようになりました。


 踊り手の服装は、男子は浴衣に黒紋付羽織、藺草で造った鳥追笠・草履ばき、女子は浴衣に黒帯、(波見、本町での若い娘の衣装は優美)中年の婦人は黒のお高祖頭巾に白鉢巻姿で、顔の両面に金箔銀箔の紙片を下げるところもあります。

伝え残すということ
 これまで、本町八月踊りを踊ることができるのは本町の人間だけとされていました。しかし、この慣習は、後継者不足という深刻な問題の原因でもありました。


 これに対して、本町八月踊り保存会は平成20年6月、一つの決断をします。「本町振興会にこだわらず、踊り手や楽の奏者を町内から広く募集する」。


 長年の慣習よりも、踊りを伝え残すということを選択し、踊りや楽器演奏の講座を開き、外部からの参加者を募集することにしたのです。


大隅各地に残る八月踊り
 かつては、鹿屋市に至る肝属川沿いの各地で同様に八月踊りが踊られていました。その数は、多いときで実に70か所以上だったとの記録があります。この伝承の起源にも諸説ありますが、その一つに、昔、大阪・琉球との貿易の拠点として繁栄していた波見港・柏原港周辺の地域で踊られ始め、そこを起点に肝属川上流へ伝わったという説があります。


 波見浦町・柏原を起点とする説の根拠の一つとして、上流に向かうほど地域に伝え残る唄の数が少ないということが挙げられます。各地に伝わる八月踊りの特徴は、手首の返しに見られる「南方系の優雅な手の動き」と「唄に出てくる上方(大阪)文化」という点が共通しています。歌詞には、当時表立って歌うことを禁じられていた赤穂浪士の話なども出てきます。大阪での流行り唄と、琉球に伝わる優雅な手の動きとが、ここ肝属川のほとりで融合し、各地へと伝わったのではないでしょうか。


 また、川沿いの地域にだけ伝わったのは、それぞれの地域が開田を行う上で水路など整備しやすい環境であり、その整備の記念に取り入れていったためと考えられます。

見学等について
◆開催日:隔年9月第4土曜日
    (平成29年度は9月23日(土)に開催予定
     今年度はウラ年のため、櫓等は設置せず行います。)
◆開催地:本町集会所の裏庭

アクセス
 本町八月踊りの会場へのアクセスはこちらをクリックしてご覧ください。