海蔵観音(昭和40年1月9日指定)

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海蔵観音(昭和40年1月9日指定)
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海蔵観音
町指定 海蔵観音
 海蔵のバス停から1キロメートルほど道路を下ったところに、海蔵観音を奉るお堂があります。

 1966年(昭和41年)、この観音を南九州市川辺町の仏具師中堂園矢吉氏が修復した際に、台座下から仏像の作者が造立の由来を記した木札(木簡)が発見されました。これによると、1681年(延宝9年)に島津藩の仏師、鳥居二郎衛兵尉が高山町にあった地福寺というお寺で制作したものと記されています。
 願文には、海蔵坊の住職達心法師の法要と当時の島津藩主19代光久公と20代の綱貴公、それに地頭福屋助佐衛門の無病息災・武運長久・子孫繁栄を祈願して造立したものと書かれています。

 完成して海から運搬するとき、海蔵近くで船底に穴が空き船が沈没しそうになりましたが、アワビが吸いついてその穴をふさぎ、観音様を無事安置することができたと言う言い伝えがあり、この地区の人々はごく最近までアワビを食べませんでした。現在も子孫繁栄祈願や、安産祈願の菩薩として多くの人たちに拝まれています。

 仏像の材質は楠で高さが1.06メートルあり、修復のとき金粉を吹き付けて美しい姿になっています。



見学等について
・基本的にいつでも見学できます。

アクセス
 海蔵観音へのアクセスはこちらをクリックしてご覧ください。