道隆寺跡(昭和46年2月25日指定)

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道隆寺跡(昭和46年2月25日指定)
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道隆寺跡

紅葉に包まれる美しい寺跡
五輪塔が整然と立ち並ぶ
五輪塔が整然と立ち並ぶ
 肝付町新富本城の雑木林の中に道隆寺の跡があります。本堂などがあった場所は水田になっていますが、林の中には観音堂跡があり、仁王像、ヤグラに刻まれた磨崖五輪塔、宝塔、経塚、六地蔵塔、無縫塔(むほうとう)、灯龍、鎌倉時代から戦国時代に至る数多くの五輪塔が古い歴史を物語っています。

 島津斉興の命で天保14年(1843年)に編纂された「三国名勝図会」に、道隆寺の由緒について記述があります。これによると、寛元4年(1246年)に蘭渓道隆禅師(らんけいどうりゅうぜんし)が開基したとあります。道隆禅師はその後、北条時頼に請われて鎌倉に上り、巨福山建長寺を創建したとも述べてあります。

 肝付氏第16代兼続(かねつぐ)の正室、御南御前(おなみごぜん)は刺しゅうした菊花の戸帳を道隆寺に寄進しており、現在は歴史民俗資料館に展示してあります。

道隆寺跡2

肝付氏と島津氏をつなぐもの
晩秋に佇む
晩秋に佇む
 平成18年には、6代島津氏久(うじひさ)と7代元久(もとひさ)の逆修塔(注1)が発見されました。氏久は大隅国の統治を任されていましたが、当時は南北朝の騒乱の時期でもあり、各地(発見されたものでは垂水、大姶良、串良、東串良)に逆修塔を建てています。

 肝付氏と島津氏は長く対立していましたが、10代肝付兼里は氏久の一字をもらって兼氏と改めるなど、この時期は友好関係にあったことが分かっており、それを裏付けるものとしても貴重な発見といえます。

(注1)逆修塔:生前にあらかじめ自分のために仏事を修して、死後の冥福を祈り建てられた塔のこと。

見学等について
・基本的にいつでも見学できます。

アクセス
 道隆寺跡へのアクセスについてはこちらをクリックしてご覧ください。
 (本城集落センター前に看板があります。)