岸良氏の墓(昭和40年1月9日指定)

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岸良氏の墓(昭和40年1月9日指定)
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岸良氏の墓
岸良氏の墓
 岸良下西地区の小高い岡を登りつめたところに古石塔群があります。ここが岸良地区を治めた岸良氏の墓所です。

 平安後期から544年間、大隅地方に覇権を唱えたのは肝付氏で、その根拠地は高山城でした。鎌倉時代に入って、元の国がわが国の様子を探るような気配を見せたため、幕府は西の地方の陸や海の守りを固めることにしました。
 当時、大隅地方に勢力のあった肝付氏は、幕府の命令によって、海岸の守りを強めるため、6人の男の子を諸所の守りに着かせました。

 この時、次男の兼基が岸良に配置され、岸良姓を名のり、それ以来、兼基の子孫が岸良を治めるようになったと伝えられています。
 岸良氏は、本地平田神社の後方台地に城を築いて本城とし、東西南方に支城を設けて防衛の任務にあたり、繁栄をもたらしたと言われています。岸良氏やその家臣などが集団で生活した場所は、岸良上西の久保田川辺り一帯の平坦地であったと想像されます。

 1580年(天正8年)に高山宗家肝付兼道が島津氏に降るまでの間、およそ300年にわたり岸良を領有した、岸良氏の墓地はこの間のものであり、最上段の二基の墓石は納骨塔であり、調査の結果初代兼基夫婦の墓であることが実証されています。

 岸良氏が、城下士として鹿児島に移されて以来、近隣の人たちは先人たちの功績をたたえ、いつも献花を手向けて、崇拝しています。

見学等について
・基本的にいつでも見学できます。

アクセス
 岸良氏の墓へのアクセスはこちらをクリックしてご覧ください。