糸川英夫博士生誕100周年記念事業(終了)

本文にジャンプします
糸川英夫博士生誕100周年記念事業(終了)
Clip to Evernote このエントリーをはてなブックマークに追加


糸川英夫博士生誕100周年記念事業について

 

※当事業は平成24年度をもって終了しております。皆様方からの多数のご協力、ありがとうございました。

 協賛金最終集約額:20,129,995円(3,650件)


糸川英夫博士生誕100周年

ペンシルロケットを持つ糸川英夫博士
ペンシルロケットを持つ糸川英夫博士
(JAXA提供)
 肝付町では、「ロケット開発の父」と言われる糸川英夫博士の生誕100年に当たる平成24年、内之浦宇宙空間観測所の開設をはじめとする輝かしい業績を残した同氏を讃え、後世に受け継ぐシンボルとすべく、博士の銅像建立をはじめとする記念事業を実施します。

 糸川英夫博士銅像建立
 銅像の建立仕様について
  ・建立場所:内之浦宇宙空間観測所 管理棟前「おおすみ」記念碑横
  ・像形:像高約170センチメートルの立像
 製作者:本郷寛氏(東京藝術大学美術部教授)

 糸川博士銅像除幕式
 日時:平成24年11月11日(日曜)午前10時から
 (内之浦宇宙空間観測所 施設特別公開に併せて実施)

 記念イベント
 ・映画「おかえり、はやぶさ」無料上映会
   日時:平成24年11月10日(土曜)午後5時30分開場、午後6時開演
   場所:内之浦銀河アリーナ
 ・うちのうら花火大会
   日時:平成24年11月10日(土曜)午後8時30分から
   場所:内之浦漁港離岸堤付近

 ダウンロード
 ・パンフレット(947KB)
 ・ポスター(841KB)

 関連リンク
 糸川英夫博士について
糸川英夫生誕100周年事業実行委員会facebookページ
 平成24年度 内之浦宇宙空間観測所 施設特別公開(50周年記念イベント)


糸川英夫博士生誕100周年記念事業協賛金の募集について

 糸川英夫博士の銅像建立および関連事業に係る経費は約2,000万円を見込んでおり、日本全国の皆様からの協賛金によりまかないたいと考えます。ご協力いただけるかたにつきましては、下記要領で納入ください。
 全国の皆様からのご協賛をお願い申し上げます。

・協賛金の受付については平成24年12月末日までとします。
・ただし、銅像除幕式(11月11日)時点で刻銘される対象者は、10月15日までに入金された分となります。
・10月15日以降12月末日までの間に入金等いただいたかたのお名前は、年明け以降に改めて刻銘いたします。

一口以上の協賛金のご協力をいただいたかたは、氏名・団体名を銘板等に刻み、末永く顕彰させていただきます。

糸川博士銅像建立の名を騙り、不正に募金を呼びかける電話勧誘が発生しています。当実行委員会では、電話により協賛金の依頼を行うことは絶対にありませんので、騙されないように注意してください。

協賛金振込方法

 子供たちにも広く参加してもらえるように、協賛金の一口あたりの金額は下記のとおりとし、次の金融機関への口座振込およびインターネット寄附金収納サービス(F-REGI)にて受け付けます(上限はありません)。

  • 18歳以下(高校生以下):500円以上
  • 19歳以上:1,000円以上


 

facebook掲載情報



 

糸川英夫博士について

糸川英夫博士の経歴

ベビーロケットと糸川氏
ベビーロケットと糸川氏(JAXA提供)
糸川英夫(いとかわ ひでお:1912-1999)
 1912年(大正元年)7月20日生まれ 東京都出身
 ペンシルロケットの開発者であり、「日本の宇宙開発・ロケット開発の父」と呼ばれる。

 1935年(昭和10年)、東京帝国大学工学部を卒業後、中島飛行機に入社し戦闘機の設計に携わる。
 1948年(昭和23年)、東京帝国大学教授に就任。
 1954年(昭和29年)、東京大学生産技術研究所内にAVSA(Avionics and Supersonic Aerodynamics:航空及び超音速空気力学)研究班を組織。航空機に替わる超音速・超高層を飛べる飛翔体を作ろうという糸川氏の「ロケット機」構想に、心を強く捉えられた若い研究者たちが結集した。
 1955年(昭和30年)3月、東京都国分寺市の新中央工業跡においてペンシルロケットの水平発射実験を行い、同年4月には関係官庁・報道関係者立ち会いのもとに公開試射を実施。8月からは秋田県の道川海岸で飛翔実験を実施し、同月ベビーロケットも発射。

 1960年(昭和35年)10月24日、糸川氏と下村潤二郎事務官が久木元峻内之浦町長に面会し、内之浦にロケット実験場の構想を伝える。日本海側でのロケット発射に限界を感じ、新たな発射場を求めて太平洋側を全国行脚した結果選定したのが内之浦であり、長坪の峠から太平洋に向かって小用を足す際に「ここだ!」と叫び決定された話はあまりにも有名である。

 1967年(昭和42年)に組織工学研究所を設立し、これを機に宇宙開発から引退する。
 1970年(昭和45年)2月11日にL-4S-5号機が日本初の衛星「おおすみ」を軌道に乗せることに成功し世界で4番目の衛星打上げ国となったが、これは糸川氏の構想に基づくものであった。
 また、「はやぶさ」や「ひので」など数々の衛星を打上げてきたミュー・ロケットも糸川氏の構想が発展したものであり、氏が卓見の持ち主であったことがよく分かる。
 1999年(平成11年)2月21日、療養中であった長野県丸子町の病院で逝去。

 なお、2003年(平成15年)5月9日にM-V-5号機で打ち上げられた小惑星探査機「はやぶさ」がサンプルリターンを行った小惑星25143は、糸川英夫博士にちなんで同年8月「イトカワ」と命名された。