小惑星探査機「はやぶさ」
「はやぶさ」地球帰還10周年記念: はやぶさメンバーによるリレートーク
「はやぶさ2」プロジェクト主催による「はやぶさ」地球帰還10周年を記念したオンラインイベントが開催されます。
詳細はこちら
カプセル分離の瞬間(イメージ)(JAXA提供) 小惑星探査機「はやぶさ」は2003年(平成15年)5月9日に
から打ち上げられています。
7年後の平成22年(2010年)6月13日、「はやぶさ」のカプセルが地球に帰還し、世界的にも大きな話題になりました。満身創痍の「はやぶさ」自身は大気圏突入で燃え尽きながらも、カプセルを地球に送り届けたその姿に、多くの人々が心を動かされ、涙しました。
肝付町の内之浦宇宙空間観測所でも同年12月にカプセルの特別展示を行ったところ、打ち上げ母港でのカプセルを見学しようと、全国各地から多くの方々にお越しいただいたところです。
ここでは、小惑星探査機「はやぶさ」について紹介します。
はやぶさとは
「はやぶさ」は、MUSES-C(ミューゼス・シー)というコード名のもとに、様々なミッションを果たすために開発された小惑星探査機です。目的地は、日本ロケット開発の父であり、内之浦を射場として決定された故糸川英夫博士にちなんで名付けられた小惑星「イトカワ」。この惑星までイオンエンジンを用いた飛行を行い、「イトカワ」の表面の物質サンプルを持って地球に帰ってくることが大きな目的でした。
MUSES(ミューゼス)
M(ミュー)ロケットを使って行う工学実験衛星、探査機のシリーズの名称で、すべて内之浦
から打ち上げられています。
◆MUSES-A「ひてん」
月を多重スウィングバイさせて、GEOTAILという科学衛星での観測技術を獲得するための探査機。
◆MUSES-B「はるか」
大型アンテナの軌道上展開とVLBI観測を行う技術実証と科学観測を兼ねた衛星。
はやぶさの主なミッション
1.工学技術実証
(将来の本格的なサンプルリターン探査に必須で鍵となる技術を実証)
2.サンプルリターン技術の確立
3.重要技術の実証
(イオンエンジンを主推進機関として用い、惑星間を航行すること。光学情報を用いた自律的な航法と誘導で、接近・着陸すること。微小重力下の天体表面の標本を採取すること)
旅立ち
2003年(平成15年)5月9日13時29分25秒に内之浦宇宙空間観測所からM-Vロケット5号機によって打ち上げられたMUSES-Cは「はやぶさ」と名付けられ、はるか彼方の小惑星「イトカワ」に向かいます。
2004年(平成16年)5月19日には地球スウィングバイに成功し、2005年(平成17年)11月26日、「イトカワ」へのタッチダウンに見事成功するのです。
トラブル
これまでも幾つかのトラブルが発生しましたが、どうにか乗り越えてきました。しかし、2005年(平成17年)12月8日に重大なトラブルに見舞われた「はやぶさ」は姿勢が安定せず、ついに地球との通信が途絶えてしまったのです。これによって、地球への帰還を当初よりも3年遅らせた2010年6月へと予定変更されてしまいます。
年が明けた2007年(平成18年)1月26日、途絶していた地上との通信が復活するものの、「はやぶさ」はボロボロの状態で、さらなるトラブルに襲われます。「イトカワ」で採取した試料をどうにかカプセルに収納でき、再びイオンエンジンを点火し地球への帰還の準備に入った2009年(平成20年)11月4日、エンジンが故障してしまいました。
4基あったエンジンのうち正常に動くのは1基のみであり、帰還は絶望視されもしましたが、万が一に備えて設置していた電子回路により別々のエンジンの部品同士をつなぐことに成功し、エンジン2台分の推進力を出すことができたのです。
ラストミッション
はやぶさが最後に見た地球(JAXA提供) 2010年(平成22年)6月13日、日本だけでなく世界中が「はやぶさ」に注目しました。世界で初めて小惑星から物質を持ち帰ってくるわけです。
大気圏突入の約3時間前、「はやぶさ」は「イトカワ」の試料が入ったカプセルを地球に向けて放出。日本時間の午後10時51分頃、大気圏に突入した「はやぶさ」は、分解しながら流星のように美しく輝き、燃え尽きてしまいました。
翌日14日、南オーストラリアのウーメラ砂漠においてカプセル等の回収が行われ、その後の分析でカプセル内に「イトカワ」に由来する微粒子約1,500個が確認されました。
実は、大気圏突入の3時間前、川口淳一郎プロジェクトマネージャらの計らいで、最後に「はやぶさ」に母港である地球を見せようと、ラストミッションとして地球の撮影が試みられていました。
カプセル放出後のふらつく機体を立て直し、何とか地球を撮影。地上にデータを送信しますが、そのほとんどは真っ暗なものでしかありませんでした。
しかし、最後の1枚がぎりぎり地球の姿を捉えていたのです。データ送信の最中に通信途絶したために写真の下部は欠けていましたが、「はやぶさ」が燃え尽きる前に最後に見た地球の姿に、多くの人々が涙しました。
肝付町では
「はやぶさ」が地球に帰還するにあたり、肝付町では「広報きもつき」の2010年3月号から「はやぶさ帰還ーLAST Missionー」として特集を組み、川口淳一郎プロジェクトマネージャーをはじめとするJAXAの方々から私記等を寄稿していただいたきました。
町をあげての祝福
肝付町地域女性団体連絡協議会(旧内之浦町婦人会。射場の選定中だった昭和36年の頃から食事の仕出しや千羽鶴の贈呈などを行い支援してきた。)では、「はやぶさ」のカプセルが帰還を果たし、一夜明けた6月14日に内之浦宇宙空間観測所を訪れ、花束の贈呈を行いました。
また、肝付町宇宙空間観測協力会では、役場本庁舎と支所に帰還を祝う懸垂幕を設置し、JAXA本部への祝電を送るなど、町をあげての祝福ムードに包まれました。
「はやぶさ」の里帰り
川口淳一郎プロジェクトマネージャ 「はやぶさ」のカプセルが地球に帰還してから約半年ー。
2010年(平成22年)12月4日、5日の2日間にかけて、「母港」内之浦宇宙空間観測所でカプセル等の特別展示が行われ、県内外から実に多くの方々に来場いただきました。
展示された部屋はM(ミュー)組立棟のクリーンルーム。ここは、M-Vロケット5号機に搭載される前、「はやぶさ」が実際に組み上げられた場所です。まさに「はやぶさ」のふるさとにカプセルは戻ってきたのです。
実は、この年は日本初の人工衛星「おおすみ」を内之浦から打ち上げて40周年を迎える節目の年でした。この40周年記念行事に、例年行われる施設特別公開、そしてカプセル等の特別展示を同時開催したものでした。
展示内容
・インスツルメントモジュール
・搭載電子機器部
・パラシュート
・エンジニアリングモデル
・前面ヒートシールド
・背面ヒートシールド
また、記念講演等についても、宇宙ファンならずとも聞きたくなる豪華な方々により行われ、多くのファンが耳を傾けました(敬称略)。
・秋葉鐐二郎(JAXA宇宙科学研究所名誉教授)
・的川泰宣(JAXA宇宙科学研究所名誉教授)
・山田哲哉(JAXA宇宙科学研究所准教授)(はやぶさカプセル制作担当)
・川口淳一郎(JAXA宇宙科学研究所教授)(はやぶさプロジェクトマネージャ)
・峯杉賢治(JAXA宇宙科学研究所准教授)(内之浦宇宙空間観測所所長)
意外と知られていないこと
「イトカワ」の地名
「はやぶさ」が目指し、タッチダウンに成功した小惑星「イトカワ」。この「イトカワ」には、国際天文学会(IAU)が正式承認した地形名称が17ありますが、実は肝付町に関連する名称が3つも付けられているのをご存知ですか?遥か彼方にある小惑星に馴染みの地名があると思うと、親近感が沸いてきますね。
1.内之浦(Uchinoura Regio)
2.大隅(ohsumi Regio)
3.宮原(Miyabaru)
最後の通信と内之浦
「はやぶさ」が大気圏に突入する前に通信が行われたのは、内之浦宇宙空間観測所の34メートルパラボラアンテナです。ラストミッションとして撮影した地球の画像データは、内之浦で受信したものなのです。データの送信中に、「はやぶさ」が地平線の山の影に隠れたことにより通信が途切れ、受信を完了できなかったのだそうです。
「はやぶさの日」制定
「はやぶさ」の偉業を称え、平成24年で友好交流25周年を迎える、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の施設がある4市2町で組織する「
」(相模原市、能代市、大船渡市、佐久市、肝付町、大樹町)では、「はやぶさ」の開発、運用に関わった人々の「あきらめない心」、「努力する心」を全国の方々に伝え続けていこうと、6月13日を「はやぶさの日」と制定しました。
「はやぶさの日」の制定の概要
1 記念日名
和文:はやぶさの日、英文:HAYABUSA DAY
2 記念日の日付
6月13日(平成24年5月28日に日本記念日協会から認定を受け登録)
※日本記念日協会:1991年に設立され、約650団体が記念日登録を行っています。
3 制定者名
銀河連邦【構成団体:相模原市(神奈川県)、能代市(秋田県)、大船渡市(岩手県)、佐久市(長野県)、肝付町(鹿児島県)、大樹町(北海道)】
4 申請者
銀河連邦本部【銀河連邦サガミハラ共和国(相模原市)】
- この記事に関するお問い合わせ先
-
宇宙のまちづくり推進課
〒893-1207 鹿児島県肝属郡肝付町新富98
電話番号:0994-65-2514
ファックス:0994-65-2521
メールフォームによるお問い合わせ
更新日:2020年06月09日