現在の位置

高山城跡(昭和20年2月22日指定)

更新日:2023年11月15日

高山城跡簡易マップ

肝付氏と高山城

高山城跡は、肝付町新富本城にあります。

伴兼行が安和元年(968 年)薩摩掾(さつまのじょう)に任命され、孫の兼貞が長元9年(1036年)大隅国肝属郡弁済使となり、その子兼俊が肝付に移り住み肝付の姓を名乗りました。

本城の築城年代は不明ですが、天正元年(1573年)島津氏に敗れ、天正8年(1580年)阿多(現在の南さつま市金峰町)に移封されるまでの18代にわたって肝付氏の本拠地でした。戦国末期の当主肝付兼続は、肝付家の領国を最大(十数万石)にまで広げ、日向の飫肥城を制圧するなど、ほぼ大隅半島を制するほどの勢力を誇っていました。

掾:日本の律令制四等官[地方行政単位である国の行政官として中央から派遣された官吏で、守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)]の三等官のこと。

高山城の特徴

高山城は、中古以来の騎馬戦を主とする攻防戦(山岳戦)にとって理想的な天険の城です。城内は本丸・二の丸・三の丸・馬乗馬場・升形等空堀によって数区に分かれています。

西方に大手門、南方に搦手門をつくり、その跡が現存しています。三の丸は田地となり、三の丸の馬乗馬場は現位置を原形のまま保存し、本城集落センターの後方へ東西にのびて当時の面影を偲ばせます。本丸はほぼ原形をとどめており、土塁の跡も分かります。二の丸の下段には湯沸場があり、崎山・石落し・逆茂木(さかもぎ)の古名も残っています。

往時の総面積は50余へクタールの広さであるといわれています。

要害地には、大小いくつもの城を配置し、各城はお互いに相呼応するために連携を保っていました。また、のろしによる合図方法もとられていたということです。

城内の大来目神社は大宰大監兼行が氏神と軍神を崇拝し、城の鎮神としたという説があります。

高山城跡(外観)

高山城跡(外観)

高山城跡(本丸)

本丸跡

高山城跡(空堀)

空堀

見学について

・基本的にいつでも見学できます。

・駐車は、本城集落センター前の駐車スペースをご利用ください。

アクセス

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肝付町立歴史民俗資料館
〒893-1207 鹿児島県肝属郡肝付町野崎1936
電話番号:0994-65-0170
ファックス:0994-65-0170

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