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海蔵砲台跡
二連式トーチカ
トーチカ内部 1942年(昭和17年)12月8日、日本軍の真珠湾攻撃により始まった太平洋戦争は、1945年(昭和20年)8月15日に終戦を迎えています。
沖縄戦後の本土決戦は、南九州が第一候補地として想定され、1944年(昭和19年)8月から志布志湾の両岸に迎撃のための軍事施設が構築され始めました。
海蔵集落のある半島一帯は戦略的価値が高いと認められ、志布志湾岸では最も大きな要塞が構築されています。
トーチカ(注)は近隣3ヶ所が現存していますが、当時は国道上にもう1ヵ所あったと確認されていることから、トーチカは全部で4ヶ所あったものと考えられています。
砲台は結局、使用するに至らないまま終戦を迎えましたが、現在でも砲台跡6ヶ所、弾薬庫1ヵ所、探照灯1ヵ所の遺跡が残っています。
(注)トーチカ:鉄筋コンクリート製の防御陣地を指す軍事用語
見学等について
・砲台跡への入り口までは行けますが、安全性の問題から中への立ち入りは禁止されています。
アクセス
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肝付町立歴史民俗資料館
〒893-1207 鹿児島県肝属郡肝付町野崎1936
電話番号:0994-65-0170
ファックス:0994-65-0170
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更新日:2018年12月27日