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糸川英夫博士について
糸川英夫博士の銅像
内之浦宇宙空間観測所の受付から坂道を上った先に「日本の宇宙開発の父」と呼ばれる糸川英夫博士の銅像が建立されているのをご存じでしょうか。
この像は、糸川英夫博士の生誕100年にあたる平成24年に実行委員会(事務局:肝付町)で実施した糸川英夫博士生誕100周年記念事業の一環として設置したものです。
建立:平成24年11月11日
建立場所:内之浦宇宙空間観測所内「おおすみ記念碑」横
制作者:本郷 寛(東京藝術大学美術学部教授)
像形:像高約170センチメートルの立像
(台座を含めると約3メートル)
※糸川博士本人の身長は158センチメートル
材質:ブロンズ
糸川英夫博士について
糸川英夫博士の経歴
ベビーロケットと糸川氏
(JAXA提供)
糸川英夫(いとかわ ひでお:1912-1999)
1912年(大正元年)7月20日生まれ 東京都出身
ペンシルロケットの開発者であり、「日本の宇宙開発・ロケット開発の父」と呼ばれる。
1935年(昭和10年)、東京帝国大学工学部を卒業後、中島飛行機に入社し戦闘機の設計に携わる。
1948年(昭和23年)、東京帝国大学教授に就任。
1954年(昭和29年)、東京大学生産技術研究所内にAVSA(Avionics and Supersonic Aerodynamics:航空及び超音速空気力学)研究班を組織。航空機に替わる超音速・超高層を飛べる飛翔体を作ろうという糸川氏の「ロケット機」構想に、心を強く捉えられた若い研究者たちが結集した。
1955年(昭和30年)3月、東京都国分寺市の新中央工業跡においてペンシルロケットの水平発射実験を行い、同年4月には関係官庁・報道関係者立ち会いのもとに公開試射を実施。8月からは秋田県の道川海岸で飛翔実験を実施し、同月ベビーロケットも発射。
1960年(昭和35年)10月24日、糸川氏と下村潤二郎事務官が久木元峻内之浦町長に面会し、内之浦にロケット実験場の構想を伝える。日本海側でのロケット発射に限界を感じ、新たな発射場を求めて太平洋側を全国行脚した結果選定したのが内之浦であり、長坪の峠から太平洋に向かって小用を足す際に「ここだ!」と叫び決定された話はあまりにも有名である。
1967年(昭和42年)に組織工学研究所を設立し、これを機に宇宙開発から引退する。
1970年(昭和45年)2月11日にL-4S-5号機が日本初の衛星「おおすみ」を軌道に乗せることに成功し世界で4番目の衛星打上げ国となったが、これは糸川氏の構想に基づくものであった。
また、「はやぶさ」や「ひので」など数々の衛星を打上げてきたミュー・ロケットも糸川氏の構想が発展したものであり、氏が卓見の持ち主であったことがよく分かる。
1999年(平成11年)2月21日、療養中であった長野県丸子町の病院で逝去。
なお、2003年(平成15年)5月9日にM-V-5号機で打ち上げられた小惑星探査機「はやぶさ」がサンプルリターンを行った小惑星25143は、糸川英夫博士にちなんで同年8月「イトカワ」と命名された。
糸川英夫博士生誕100周年記念事業について
ペンシルロケットを手にする
糸川英夫博士(JAXA提供)
肝付町では、「日本の宇宙開発の父」と言われる糸川英夫博士の生誕100年にあたる平成24年に、内之浦宇宙空間観測所の開設をはじめとする輝かしい業績を残した同氏を讃え、後世に受け継ぐシンボルとすべく、博士の銅像建立をはじめとする記念事業を実施しました。
なお、記念事業の実施にあたっては、日本全国に協賛の呼びかけを行い、皆様からお寄せいただいた協賛金により実施しました。
協賛金最終集約額:20,129,995円(3,650件)
事業内容
- 糸川英夫博士銅像除幕式
- 糸川英夫博士銅像建立記念式典
- 記念イベントの実施
- 映画「おかえり、はやぶさ」上映会
- うちのうら花火大会
タウンロード
糸川英夫博士銅像除幕式
平成24年11月11日(日曜日)、内之浦宇宙空間観測所の施設特別公開にあわせて糸川英夫博士銅像建立記念式典・除幕式が行われました。
当日の朝方まで降り続いた雨も除幕の段階には何とか回復し、大勢の関係者・観衆・報道陣が見守る中、「日本の宇宙開発の父」糸川英夫博士の銅像が姿を現すと、大きな歓声があがりました。
その後は、銅像との記念撮影や、協賛者の氏名が刻銘されたプレートの中から自分の名前を探す人々が絶え間なく訪れていました。
銅像建立記念式典
除幕式に先立ち、内之浦宇宙空間観測所の管理棟大会議室で銅像建立記念式典が行われました。
糸川英夫博士生誕100周年記念事業実行委員会の会長を務める永野町長が建立者を代表してあいさつを行いました。
続いて、丹下甲一・鹿児島県副知事、秋葉鐐二郎・宇宙科学研究所名誉教授のお二方から祝辞を頂きました。
元観測所の所長でもあり、糸川博士の愛弟子として日本の宇宙開発黎明期を共に支えた秋葉教授は、「糸川先生の銅像がこれからのロケット打ち上げを見守ってくれる」と話されました。
そして、今回の銅像の制作者、本郷寛・東京藝術大学美術学部教授からのあいさつ。
当初は背広姿の銅像も検討されたそうですが、元内之浦町婦人会のメンバーなど様々な関係者に話を聞いていくうちに、現場に立ち共に汗をかくリーダー像のイメージに固まっていったそうです。
また、糸川博士愛用の帽子と眼鏡、腕時計などの小物にもこだわって制作に挑まれたとのことです。
- この記事に関するお問い合わせ先
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宇宙のまちづくり推進課
〒893-1207 鹿児島県肝属郡肝付町新富98
電話番号:0994-65-2514
ファックス:0994-65-2521
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更新日:2019年07月12日